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役者がセリフをしゃべるとき


                                                        私は舌の右半分がない。舌癌を患い切除してしまった。

無いままだと食べ物は顎に落ちて、噛むことも飲み込むことも出来ないので、右の大胸筋で補っている。しかしもともと舌の筋肉ではないので引きずられているだけ。舌がすぐ疲れる、言葉がうまく話せない。特にカ行がだめ。カ行は舌の奥の方を動かして発音する音。そう私の舌癌は舌根部にできた。なので、リハビリのつもりで小さな劇団の中高年教室に入った。




この劇団の名は「シェイクスピアシアター」。日本でシェイクスピアを専門に演ずる多分唯一の劇団で、主催は演出家の「出口典雄」。中高年教室は劇団の金集めの手段であって、劇団員というわけではない。だから公演にも出演しない。そもそも役者じゃないし、役者になるための研修所でもない。なのに出口典雄はシェイクスピアをどう読むか、セリフをどう発音するか、熱心に教えてくれた。期待はしてなかったろうが、余りに酷い発音には我慢がならなかったのだろう。



セリフをしゃべるときのこの劇団のポリシーは、良い声で、何を言ってるか分かる、

どうでもいいけど“気持ち”、である。


  は腹から声を出す、腹の底の底から声を出すこと。芝居は腰である、下半身である、腰・腹である。

   セリフは腰で読むのである。腰の動きとセリフの動き・文脈・セリフの生命の流動性やそのダイナ

   ミズムとを関係づけることだ、と出口典雄は吠える。


  はシェイクスピアの戯曲のセリフは詩であり、時折日常の言葉である散文を混ぜ合わせながらも、

   ほとんどが韻文のリズム(韻律)でできている。この詩を、結局何を言ってるのか観客に伝わるように、

   分かるようにしゃべるにはそれなりの工夫が大切である。

   例えば「形容詞/形容節より形容されるものをはっきり発音する」(美しい)とか、単語の最初の

   音を強く発音する」(罪と死と地獄に・・みとごくに・・)とか、「日本語の音は子音と

   母音とからなる、だから子音をはっきりと発音する」(桜の花・・SaKuRaNoHaNa)などなど。


  “気持ち”はもちろん大切である。“気持ち”の無い言葉はない、人間はいない。だがシェイクスピアの

   息の長いセリフを「何を言ってるのか分かる」ようにしゃべることの方が圧倒的に大切である。

   劇団によってはセリフをしゃべるとき「もっと心を込めて」とか「もっと感情豊かに」とか指導

   する劇団もあるようだが、出口典雄はしない。実際、感情を思いっきり込めてセリフをしゃべる人が

   いるが、全く聞くに堪えない、聞いていられないです。余り感情を込めない方がいい。

   「人は物語を生きている、自分の物語を作り生きるのだ」とは河合隼雄の言葉。観客は芝居を見て、

   役者のセリフを聴いて、自分の物語を作り上げてゆき、その物語に泣いたり笑ったり、怒ったりする

   のである。役者が自分の感情をたっぷりにしてセリフをしゃべると、観客は自分の物語を作り損ねて

   しまいがちである。せっかく作ろうとすると、役者が自分の感情を押しつけてきて「そっちじゃ

   ない、こっちだ」と言わんばかりに迫ってくる。作ろうとするたびに圧が懸かり、壊される。

   これが繰り返されると観客はたまりかねて「この大根役者!ひっこめ!バカヤロ-!」と怒鳴る。

   それでお終い。感情など込めなくとも素直にセリフを読み込んでいけば、セリフ自体が役者から

   感情を引き出してくれる。これに素直に身を任せる方がいい、感情を意識的に込める必要はない

   のだ。だから、どうでもいいけど“気持ち”なのだ。



セリフとそれを発する役者との出会いにすべてが賭けられている。役者はあるセリフを衝動的に発するかもしれない。また深く沈むように、あるいは不安におののくように発するかもしれない。セリフと役者の出会いは無数に許されている。台本によっては一通りの解釈しか許さなかったり、演出家が、こうだ、と指示する場合もあるかもしれないが、出口典雄は何も言わず見守るだけ。だからどの出会いを自分の必然的なものとして選ぶかは、すべて役者に委ねられている。役者がどの出会いを選ぶにせよ、出会いが無数に許されている以上、自分の選び取った出会いが果たして本当に自分にとって必然的なものかどうかという疑問が、不安が湧いてくる。不安は役者を出会いの再解釈へと向かわせる。しかし出会いが無数にある以上、役者はこの不安を決して根底から払い去ることは出来ない。そしてこの役者とセリフの緊張感こそが、観客の胸に深く突き刺さるものなのだ、そしてシェイクスピアのもっとも面白いところなのだと、出口典雄は言う。

                   (写真は出口典雄、朝日新聞より)





コロナ禍は日本の演劇界に大きな打撃を与えた。劇場や稽古場が閉鎖され、アルバイトで生活してる劇団員

はアルバイト先の閉店・倒産に見舞われ生活の糧を失った。チリジリバラバラ・・

その中で出口典雄は死んだ。無念であったろう。

残された弟子たちはいままた師を継ごうと動き始めた。活動が深まることを祈念している。




以下に、シェイクスピアの「リチャードⅢ世」の一部を掲げる。小田島雄志・訳(白水社)である。

あなたならこのマーガレットのセリフをどう読むだろうか? 目で読むだけでなく是非声に出して読んで

いただきたい。理解の程度がぐんと上がりますよ。さあ、あなたならこのセリフ、どうしゃべる?


マーガレット:

       古い悲しみの方がそれだけ尊ばれるものなら、

       私の悲しみはさいわいにしてだれよりも年上のはず、

       だから私の泣き顔を上座においてもらいますよ。

       悲しみにもつきあいというものがあるなら、もう一度

       お前の悲しみを私の悲しみとつきあわせるがいい、

       私には息子エドワードがあり、リチャードに殺された、

       そして夫ヘンリーがあり、リチャードにころされた、

       おまえには息子エドワードがあり、リチャードにころされた、

       そして息子リチャードがあり、リチャードに殺された。

公爵夫人: 

       私には夫リチャードがあり、あなたに殺された、

       そして息子ラットランドがあり、あなたに殺された。

マーガレット:

       おまえには息子クラレンスがあり、リチャードに殺された。

       猟犬小屋のようなおまえの胎内から這い出した

       あの地獄の犬が、私たちみんなを死へと狩り立てる。

       目よりも先に歯が生えて、子羊たちを牙にかけ、

       罪のないその血をすすりつくすあの残忍な犬、

       神のつくりたまいしものを汚すあの忌まわしい破壊者、

       泣きはらした目を見ては憂さをはらしている

       歴史始まって以来のあのすばらしい暴君、それを

       おまえが生み落とし、私たちを墓場へと追いやるのだ。

       ああ、公平に裁かれる正義の神に、どのように

       お礼を言えばいいだろう、あの人食い犬に

       同じ胎から生まれたものを餌食にさせ、その母親に

       他人と同じ悲しみをなめさせてくださったのだから。

公爵夫人:

       おお、ヘンリーのお妃、私の不幸をお喜びか、

       私はあなたの不幸を見て涙を流したというのに。

マーガレット:

       がまんなさい、復讐に飢えていた私がやっと

       それがはたされるのを見て楽しんでいるのだから。

       おまえのエドワードは死んだ、私のエドワードを刺した男は。

       もう一人のエドワードも死んだ。私のエドワードの償いに。

       幼いヨークはおまけにすぎぬ、二人合わせても

       私の失ったすばらしい宝にはおよばないのだから。

       おまえのクラレンスは死んだ、私のエドワードを殺した男は。

       そしてこの悲劇の見物人、色好みのヘースティングズや、

       あるいはリヴァーズ、ヴォーン、グレーたちも、

       寿命が尽きぬうちに絞め殺されて暗い墓穴にいる。

       リチャードはまだ生きている、あの地獄のまわし者、

       悪魔の手先、人の魂を買っては地獄に送りこむ

       そのためにのみ生きている男は。だがもう目の前だ、

       あの男のあわれな、だれもあわれまない死は。

       大地は口を開け、地獄は燃えさかり、悪魔はうなり、

       聖者は祈り、あの男の一刻も早い死を待っている。

       あの男にいのちの支払いを命じたまえ、神よ、私が

       生きているあいだに「犬めが死んだ」と言えるように。

エリザベス:

       ああ、あなたは予言なさった、いつか私が

       あの腹をふくらませた毒蜘蛛を、せむしのヒキガエルを、

       いっしょに呪ってくれと頼むときがくるだろうと。

マーガレット:

       そのときおまえのことを、私の運命のむなしい飾り、

       あわれな影法師、絵に描かれた王妃と呼んだはずだ、

       かつての私の引き写しとも、恐ろしい悲劇の筋書きを

       口あたりよく解説したことばとも呼んだはずだ、

       高い座につくのもあとで転がり落ちるためという女、

       かわいい二人の子を授かってもぬか喜びに終わる母親、

       かつて夢見たおまえ自身の夢、はかない吐息、水泡、

       見せかけの権威をこれみよがしにひけらかしても

       危険な矢玉の標的となるだけの旗印、出場を埋める

       ただそれだけの道化芝居の王妃、それがおまえだった。

       いま、おまえの夫はどこにいる? おまえの兄弟は?

       おまえの子供たちは? おまえの楽しみはどこにある?

       おまえに哀願し、「王妃万歳」と叫ぶものはどこにいる?

       おまえにお世辞を言う腰の低い貴族たちはどこにいる?

       おまえにぞろぞろとつき従う従者たちはどこにいる?

       それを一瞥すればいまのおまえがわかるだろう、

       かつてのしあわせな妻ではなく、みじめな未亡人、

       かつての嬉しい母ではなく、母の名を嘆く女、

       かつての王妃ではなく、苦悩を額に戴く囚人、

       かつての哀願されるものではなく、哀願するもの、

       かつての私をあざけった女ではなく、私にあざけられる女、

       かつての人に恐れられた身ではなく、人を恐れる身、

       かつての万人の支配者ではなく、一人の女奴隷。

       このように正義の女神の歩む道は円周を描き、

       とり残されたおまえは時の餌食となるほかない、

       かつてのおまえの思い出しかもたぬその身には

       いまのおまえであることがそれだけつらいだろう。

       かつて私の地位を奪いとったおまえが、私の悲しみを

       そっくりそのまま奪いとらずにすむと思うか?

       いまおまえの高慢な首に私の重い頸木がかけられた、

       私は疲れた首をそこからはずし、これまでこの身が

       引きずってきた重荷をいっさいおまえにあずけよう。

       ではヨーク公の奥方、悲運の王妃、お別れしよう、

       イギリスの不幸をフランスで楽しませてもらおう。

エリザベス:

       ちょっとお待ちを、呪いの名人であるあなたに

       私の敵をどう呪えばいいか教えていただきたいのです!

マーガレット:

       夜は眠りを断ち、昼は食事を断つことだ、

       過ぎ去ったしあわせをいまの不幸とくらべることだ、

       おまえの子供たちが実際よりもかわいかったと思い、

       それを殺した男が実際よりも忌まわしいと思うことだ。

       失ったものをよりよく思えば失わせたものがより悪く

       思われてくる。それでおのずから呪いかたがわかる。

エリザベス:

       私の舌はなまっている、どうか注いで、あなたの毒を。

マーガレット:

       その悲しみがとぎすましてくれよう、私のように鋭く。



                                  S43年卒  平田洋     

                     (アニメ映画 「君たちはどう生きるか」より)























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