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  • 執筆者の写真石井 力

6号館の隣<旧江戸川乱歩邸>をご存じですか?

150周年事業は駅伝だけではありません。

校友会報2月号より (まもなくお手元に届きます。)



旧江戸川乱歩邸(校友会HPより)



みなさまは、立教大学6号館北側に位置する旧江戸川乱歩邸を訪れたことはありますか?

2002年、かの有名な推理小説家江戸川乱歩の邸宅と、書庫として使われていた「幻影城」と呼ばれる土蔵が立教大学に譲渡されました。

乱歩が立教大学に隣接する住宅に移り住んだのは1934年、乱歩がまもなく40歳を迎えようとしていたときのことでした。

それまで46回も引越しを繰り返していた乱歩は、以後はこの地を気に入り、1965年に亡くなるまでここを移ることはなかったということです。

当時乱歩の家の周辺には原っぱや田畑が多くあり、現在の池袋とは違い静かな土地であったようです。

建物と同時に立教大学に譲渡されたものの中には、乱歩の4万点近くの蔵書・資料も含まれており、それらの目録作成、整理がすすめられています。


乱歩は推理小説家として有名ですが、近世資料の収集家としての側面も持っています。

その中でも特に目を引くのが井原西鶴の作品群です。

乱歩が戦後すぐの昭和24年から20年ほどかけて集めた『好色一代男』(天和二年)や『日本永代蔵』(享保五年)などの井原西鶴のコレクションは桐の箱に納められ、乱歩の几帳面さが表れています。

みなさまもお散歩がてら推理小説を片手に旧江戸川乱歩邸を訪れてみるのはいかがでしょうか。

立教学院創立150周年事業の一環により、2024年1月から9月まで、改修整備工事を予定しています。



おついでに


立教うんちく話


RIKKYOとRIKKIO


現在、立教大学の正式な英称は「RIKKYO UNIVERSITY」とされ、様々な広報媒体などに使用されていますが、体育会各部のユニフォームなどには「RIKKIO」も用いられています。これについて疑問をもたれたことはありませんか?この表記を使う理由を紹介いたします。

戦前のローマ字表記では「きょう」は「KIO」と表しました。例えば「東京」は「TOKIO」と書きました。戦前に登録した法人のローマ字表記にはこの方法が用いられ、「りっきょう」は「RIKKIO」と表記されました。伝統を重んじる体育会では今もこの「RIKKIO」を使用しています。また、「RIKKIO」と書いてみると、真中の「KK」の両脇に並んだ「I」と「Y」。この二文字の幅が違う為、左右のバランスが悪く、「Y」を「I」に置き換えてみたところ、バランスが良い。このように左右のバランスを考慮し、「RIKKIO」としているというお話もあるそうです。



300B


懐かしい「300B」についてご紹介します。

「サンビー」の愛称で立教生に親しまれている「300B」、めまぐるしく飲食店が移り変わる中、今もここを利用する学生は多いそうです。


「オーナーは立教の昭和30年卒のOBだから30OBという店名」などとまことしやかに囁かれてきましたが、その真相は・・・? 


以前アンプを作る会社にお勤めされていた先代オーナーが300Bという真空管の名前からつけたのだそうです。










ヒマラヤ杉


池袋キャンパス本館前の2本のヒマラヤ杉は、1920年ごろ植林され、樹齢は80年以上と推測され、高さは25メートルほどで、現在も成長を続けています。

今年は11月29日に点灯式が行われましたが、このクリスマス時期のイルミネーションは1949年ごろから開始され、当時は400個余りの色電球が取り付けられていました。現在では、赤・青・黄・緑、そしてクリアーの5色の電球が、図書館側の1本には約400個、チャペル側のもう1本には約300個取り付けられ、クリスマスの雰囲気を盛り上げています。ちなみに『ヒマラヤ杉』は、スギではなくマツ科の樹木です。原産地はその名のとおりヒマラヤ。神の宿る木を表すそうです。



第二応援歌「St.Paul's will shine tonight」


1927(昭和2)年、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセミプロチーム「フレスノ野球団」が来日。バスケットボールもこなすこのチームは本学のバスケットボール部と親善試合を行いました。その際のティーパーティーの席上で、フレスノ側がアメリカで古くから歌われていた「Our Boys Will Shine Tonight」を素とする「フレスノ・ウィル・シャイン」を「リッキョー・ウィル・シャイン」ともじって歌ってくれたそうです。それをその後バスケットボール部員が歌い継ぎ、「リッキョー」が「セントポール」と変化して大学の応援歌となりました。



立教のつた


立教大学の本館(モリス館)は、正面から見て時計台の左側から図書館にかけての一帯にツタ、右側は常緑のキズタが植えられています。

冬の間、赤レンガの壁が目立つ本館や図書館旧館は、春になるとツタの新緑でおおわれ、キャンパス全体が活気に満ちます。ツタは1924年にバスケット部が第一回のリーグ戦に優勝したとき、それを祝して神学院のチャペル(今は取り壊されてありません)の壁にはっていたキズタの株を引き抜いて時計台の右側に植えたということです。



・・・・・いつの頃から、受験生は本館のツタに触れると合格する。新入生は本館のツタが枯れる秋までに恋人ができないと4年間ずっとできないまま、などと、言い伝えられています。







メサイア



毎年12月、立教のクリスマス行事の代表格として行なわれる「メサイア演奏会」ですが、そもそも『メサイア』とは???


ヘブライ語の「油を注がれたる者」つまり「神から選ばれた支配者、悩めたる者の解放者」を意味する「メシア」を英語読みにした「メサイア」。

救世主=イエス・キリストの生涯を「預言と降誕」、「受難から昇天」、「復活と永生」の三部構成で描いた壮大なこの楽曲は、1742年にアイルランドのダブリンで初演されました。

後にイギリスに帰化したドイツ生れの作曲家ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの作曲によるものです。

昭和30年代ごろからクリスマス実行委員会や音楽団体の学生の中から「オール立教という形で何か大きな出し物をやりたい」という声があがるようになり、加えて、当時の関係各先生方の「借り物でないメサイアを」との熱意を原動力として、ついに昭和37年12月22日、第1回目の立教メサイアの幕が上りました。毎年恒例とされている方も、初めての方も、足を運んでみてはいかがでしょうか?




広報 石井




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