「4丁目」の名付け親がこの方だと知りました。→羽隅弘宣さん 広袴在住 S38年卒
11/03付、ご本人から頂いたメール(原文のまま) ご了解いただきましたので公開いたします。
「4丁目の話ですが」
大学2年生の春、1960(昭和35)年3月ごろ地下鉄丸ノ内線が池袋まで開通し、銀座
に出かけることが容易になった。電車賃は一律15円(その年の秋頃値上げとなった)
親友Y君と授業をサボってはよく銀座に出かけていた。
揃って登校しのその日のスケジュールを決め待ち合わせ場所を二人の合言葉「4丁目」で待
っているよと。
最初は”四つ角で待っている”と言っていたがあまり響きが良くないので銀座4丁目に因んで
4丁目にした。
午前11時ごろの地下鉄で銀座に出て昼はみゆき通りの”スイス”というカレー屋で食べその
後銀ブラをしていた。当時不二家の隣近くに石津謙介の店ーVAN ジャケット(アメリカの
Ivy LeagueのFashionを取り入れた背広など)という若者向けの洋服店があり、二人して揃
いのジャンバーを買ったり、back skinのbootsを履いて闊歩していた。
お茶は銀座日航ホテルの裏にある”マグノリア”という喫茶店で輸入盤のJazzを聞いて時間を
潰した。
青春の一コマです。
ロールスロイスの社内会議 同僚とともにノルウェーのBergenのホテルで(2010.6)
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