ゾロアスター教徒の中で(エッセイ2⃣)


ルスタム・バウグの外人は、今のところ私一人である。他のコロニーには、スイス人、イギリス人などもいると聞く。パーシー(ペルシャから来た人の意)は一般的に、インドの他のコミュニティの人よりは、外人の方が習慣、考え方を共有できると考えているそうで、コロニー以外に住んでいる人で、ヨーロッパ婦人と結婚している人々も案外見かける。


またパーシーはチャリティー精神を重んじ、病院や学校などの教育機関、芸術新興の施設を建て、寄付、運営をして社会貢献もしているが、これは宗教的思想とも関連があるという。無論パーシーはごく少数民族で、インドのボンベイを中心に約5~6万人が住んでおり、カルカッタその他の地区にも少数が住んでいる。全世界では、イギリスをはじめヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア等と分散しているが、総勢でも10万人以下の人口しかいなくなっている。しかし、4年毎にゾロアスター教徒世界大会というのが世界のどこかで開かれており、各国から出席者が集まるのは壮観だ。私の夫はよく『国際保護動物として保護されなきゃ』と笑って言うが、しかしこの少数民族は、ボンベイでの大手企業や財閥のオーナーの地位も占めており、インドにおける経済の主要部分を担っているし、ボンベイの街を作ったのはパーシーだと誇らかに言う。


パーシーのもう一つの特徴は、パーティーなどの集いが好きで大声でジョークをとばし、三人寄れば自分のコミュニティを初め、自国インドの批判をする。こういうことは余り他のコミュニティでは見かけなかったし、生活をエンジョイすることが好きで、ヒンズー、クリスチャン他のお祭り騒ぎも常に一緒に楽しむ精神を持っている。食事の習慣も何のタブーもない。

チャリティーといえば、パーシーコロニーは、プライベートな寄附で造られたものが多く、ルスタム・バウグもボンベイ・ダイイングという繊維製造・販売会社の二代前の社長が土地も建物も寄贈したものである。現社長を除いて、今は家族はスイスに居るが、七十歳をとうに越えた先代社長ワディア氏は、毎年バウグを訪れて環境を見廻る。そしていつも新しい提案をしたり、住人の要求を聞くのだ。年齢のいった住人達は、パーシー独特の自家製のごちそうや甘いものでこの異国に住む老人に 我れ先に感謝のもてなしをする。彼はこのバウグをいつも清潔に、そして緑豊かに保っておきたいと言う。今年は裏手に子供の遊園地が完成した。たくさんある小さな植え込みにも散水パイプを敷設し大枚の寄付をしてくれた。住民は家賃を払っているが、コロニーが出来た当初は高額だったと言われる家賃も、政府の方針で永年据え置かれて、これだけでは、色々なことがまかなえなくなっているからだ。この散水パイプのお陰で、個人が勝手に面倒を見ている窓下の植え込みは、大変水がやり易くなった。ここにはカンナを植えたり、公園などから気に入ってちょっと一枝頂いてきたような観葉植物が増えたりしている。このあたりでは、さし木で簡単につくものが多いから驚く。私の気に入っているのは、モーグラとインド名で呼ばれているジャスミンやナイト・クイーンの灌木だ。この木は夜になると白い細かい房状の花を開いて、苦い重い香を投げかける。この花の咲く時期、私は夜の外出から帰ると胸一杯に香りを吸い込むのが癖になった。オシロイバナやホウセンカなど原始的な雑草のようなものが元気で、オシロイバナは黄やエンジの花を殆ど一年中咲かせているし、ホウセンカも時期には色とりどりの絨毯のようなって、バウグの道の両端にびっしり広がって美しい。


ルスタム・バウグは本当のダウンタウンにあって便利な所で、コロニーから一歩外に出ると活気に溢れたマハラシュトラ州のジャガイモとタマネギのマーケットが近く、すぐ裏には野菜と肉の市場も広がるから、人々でごった返している。一方裏手のマザガオンという地区は英領時代英国人の居住地として開かれたところなので、昔は貴族的雰囲気の所だったそうであるが、それも今は全く庶民の町になっている。バウグの入口から6メートル程の幅の道路をへだてたところには、青々と繁るネムの大木が生えている空間があり、街路樹にもネムが深い影をを落としていてほっとする。それだけがかつてのこの界隈を偲ぶよすがかもしれない。



コロニーの周囲は高い塀でかこわれており、大通りに面した所は、てっぺんを槍のように尖らせた鉄製の柵がしつらえられている。門は二つあって第二門は夜十時以降に閉められるが、昼間は一方は入口、他方は出口となっている。両門に常に門衛がいて不審な人をチェックするようになっている。


ムスタム・バウグには明るい黄土色の、少し古めかしいアパート風の建物が20ぐらいはあるだろうか。このコロニーの住民は、およそ2,500人程であるという。私の家は二階(インド式ファーストフロア)にあり幸運にも最も見晴らしの良い場所に位置している。

東南に向かったベッドルームの窓からは大きな共有の庭、というか運動広場(マイダン)が広がり、そこに建つ集会所(パビリオン)とその一部の図書館が見わたせる。集会所の一階には小さなキャンティーンと室内バドミントン場がある。フラットには大小があって、私たちのは2番目に広い方で、外回りのベランダを入れると100坪に近いから、日本式ならマンションと呼べるだろう。本来四階建てなのだけれど、後に屋上を利用した五階もつけられて、エレベーターがないから最上階に住む人々は大変である。


私達のビルのアーチ形をした入口の真上には、このビルが1927年に建った旨と、ラテン語とハンマーを組み合わせた紋章のようなものが刻まれている。夫々の建物は建築年代が違っていて何年かにわたってコロニーが形成されたことが解る。裏手のキッチンは西に面していて非常用の螺旋階段が廻っていて、緑色の手すりが夕方からの西日に美しい。西からは風が良く吹き込むので、インドでは西向きの家が良いのだと尊ばれるのが解る気がする。

私が住んで間もなくの頃、螺旋階段についた小さな踊り場で夫が『ここは、バッキンガム宮殿、ヨ』とユーモラスに説明したのがおかしく思い出される。確かにそこから見えるコロニーのたたずまいは、インドの一般の景色よりヨーロッパ風に見える。


キッチンから横手に見えるバビリオンの赤い屋根、それをとり巻くアショカツリーやねむの木の大木。広いマイダンに雨期には青々と、乾期には日にやけた絨毯の様に広がる草原。でもそこに住むものは、時々ケタタマシイ声をたてて鳴くインコや悠然と滑空するトビ、いつでも台所の窓から肉や魚を頂だいしようとスキを窺うカラス達である。






   斉藤碧(S39英米文)



           続く・・