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  • 執筆者の写真石井 力

ゾロアスター教徒の中で(エッセイ4⃣)

更新日:2022年10月16日



<ファイアテンプル>

シンボルの鳥が羽を広げた形は「ゾロアスター教のシンボル、フラワシ。人間の中にある神性」

(Element of God within You)で、 お守りでもあります。翼を拡げて守ってくれるのです。




私達の朝は、洗面をしてからのモーニングティーで始まる。でもその前に先ずすることは、炭をおこすことだ。ゾロアスター教の人々は拝火教なので、火を神聖視するのだが、そんなことでどんな家にも大てい台所に預言者ゾロアスターの額が掛けられている。(ちなみに、日本で台所に祀る荒神さまは、ゾロアスター教に関係があるという説を読んだことがある。)私がちょっと赤くなった炭を香炉にうつす頃には、シャワーをして、アヴェスタという経典を手に簡単な祈りを終えた夫が、白壇をたいて合掌する。白檀だけでなく、ロバンと呼ばれる乳香を加えることもある。ロバンはパチパチという音をたて、馥郁たる香りがたつ。この習慣は私にも嬉しい。良い一日が始まる心地がする。


パーシーの主婦は、スカーフなどで頭をおおい、この後各部屋を香炉を持って廻る。白壇特有の白い煙が帯状の流れになって部屋部屋を満たす。初めの頃私もぜひそれをしたいと思ったのだが経文を唱えながらするこのしぐさは、自分が異教徒だと思うと気遅れがした。しばらくして、尋ねると、夫はかまわないと言うし、舅も、それから後にそのことを知った何事に依らず少々厳格な義姉も何も言わなかった。従って、夫が祈った後、私も白檀をくべ、合掌してから香炉をささげて部屋部屋や、ベランダを邪気払い?して、その日を始めるのが習慣になった。そういう朝のしきたりの後のモーニングティは、爽やかで格別だった。



パーシーの人々は特殊な宗教着を身につけている。マルマルと呼ばれる白く薄いローンのような綿布で作られたサドラと言われるランニングシャツのような下着、今でもイランの特殊な山羊の毛だけで、僧侶の妻だけによって織られるウエストに巻く5ミリ幅くらいな繊細な細いウールの紐、カスティーである。女性はキャミソールのような形のサドラを身につけている。その他、ムンバイに住んでしばらくすると、パーシーが地元の人々と違っていることがだんだん分かってくる。まずその顔立ちと雰囲気から。そして女性などは

その衣服からである。            

パーシーの女性達は通常日本人の私たち同様の日常着を着ていて、サリーやパンジャビドレスといったインドの服装をほとんしていない。サリーは特別の行事や、お出かけの時に着ることが普通で今の私たちが、常には和服を着ていないのに似ている。クリスチャンも同様の服装だが、やはり面差しがパーシーと違うので、判別できる。

宗教儀式に僧侶の着る長い白い装束は良く見れば下の部分をスカートのようにした、長いサドラのような形式とわかる。白い帽子をかぶる。神への祈りの場合は、普通男女すべてが、頭にかぶり物をしなくてはいけない。また、僧侶になれる人は代々その家柄の男子である。男子に恵まれなかった家では、孫に男子ができれば、家系をつなぐことができる。できなければ、その家から僧侶を出すことはできなくなる。僧侶の大抵は、ほかの生業についていて、かつ僧侶の勉強をして僧の資格をもっている人が多い。僧侶の収入は、余り多くないということである。

街などで、男性のカスティーがシャツや背広からはみ出して尻尾のように見え、後ろからパーシーと分かっておかしいことなどもある。また、拝火教という言い方には火を拝む宗教として、なんとなく原始的な想像をかきたてられるのだが、夫に言わせると、元々の英語への翻訳のファイア・ウオーシッパー(Fire Worshipper)というのがいけないと言う。これでは、本当に「火そのものを崇める」感じがするからだと。ちなみにゾロアスター(原語はザラトスティ)は、予言者であり、崇める神は光や灯火を象徴する創造主アフラマツダである。ゾロアスター教は古く、ユダヤ教、キリスト教に影響を与えたと言われている。偶像崇拝をしない。


火を直接的に拝むのではなくて、邪悪なものをあぶり出す神聖な火を神のシンボルとして崇めるのであって、ろうそくや灯火を灯して手を合わせる他の宗教と同じことである。火を神聖視するために、たばこも吸わないのが一般的で喫煙する人はわずかである。また、火をつかってゴミを燃すなどのこともしない。火が、何かを燃してきれいにしてくれる、という考えは無くて、神聖な火を、汚物で汚すことを避けるのである。又、ゾロアスター教の解説書には良く、拝火教とは善悪二神を信じる二神教などと書いてあるのがあるが、夫に言わせればそれは違う。



神と悪魔を対比させる神話はあるが、悪魔が神などとは絶対ありえない、二神教と言われるのは、解釈のまちがいだと断言していた。私にも納得のいく説明であった。


朝のティーの前のこの簡単な祈りは、ウエストに巻いたカスティを3回ほどほどいたり、前後で結びなおしたりしつつするものだ。日本でもめでたい約束ごとなどの時、『結ぶ』ことを大切にするが、初 めて 見た時は、親近感を感じて興味深かった。

                                                                 

                              ナウジョート式で母親の祝福をうける女児


夫に何を口の中で唱えているのかと聞くと、「その日一日『良い考えを持ち、良い行いをし、良い言葉をはなす』ことが出来るようにと祈る」のだそうだ。これが、教えの基本である。

それからは、私も自分なりの祈りの気持ちにこれを加えて合掌している。


もう少し、このサドラとカスティのことを説明すると、初めてそれらを身につけるには、ナウジョートいう子供のための入信の儀式があって、子供達は男女とも少年期にそれを行わなければならない。女の子なら7・8歳くらいまでに、男の子なら11歳くらいまでにファイアテンプルないしは、家にお坊さんを数人呼んで式を挙げる。子供はその日までに、アヴェスタから抜粋した重要な祈りを暗唱しなければならないから、その年代の子供

達が、日曜日などに、マドレサと呼ばれる神学校に行ったり、お祈りに詳しい人に教わっ たりして準備する。



ただパーシーの両親の間に生まれても、それで自動的にゾロアスター教徒になれるわけではない。入信式は本人、家族にとって大変大切なお祝いで多くの親族も集う。規模によって有名な高僧や複数の僧侶が呼ばれ、祝いに使われる大きな銀の盆の上には、縁起をかついで特別な果物や手作りの甘いものやらが飾られる。このときも大切なのは、香炉にくべる白檀、乳香などであり、聖水である。それから、聖牛の小水である。これはちょっと舌に触る程度に銀のカップに唇をつければ良いが、内容を知っている子供達は顔をしかめる。この聖牛は、白牛で一点のシミもなく生まれ、特別な餌で特別な場所で育てられた、全てが特別みたいな牛らしいが、神秘的で良くわからない。インドのどこかで生まれるとニュースになる。聖牛を崇めるヒンズー思想からの影響なのか、調べたことがない。式が終われば、典型的なパーシー料理が振る舞われる。パーシーの料理は、美味でボリュームたっぷりである。食べ物にタブーもない。


サドラについて、面白いと思ったことを一言加えると、これは、裁縫上手なコロニーの夫人に仕立ててもらうのが常だったが、簡単な形だし、聞いてみると異教徒が縫ってもかまわないというので一度ためしてみた。薄い布なので、襟のV字カットの下に補強のための小さな短冊形の力布のようなものがついている。面白いことにその短冊布に小さなスリットが入るのだ。尋ねるとそこが生きているときにした善行が貯められるところでポケットなのだという。亡くなったときに人生が採点されるのに使われるという。教えたほうも、私も笑ってしまった。やはり、何でも経験してみるのが良いと思った。自分で手作りしなければ、わからないことだったと思う。


ゾロアスター教徒は、異教徒の改宗を認めないため、ゾロアスター教徒以外との結婚式は宗教にのっとってすることはできない。(私事であるが、私たちの結婚式は、まず市庁から、分厚い登録簿をもって二人の係官が自宅を訪ねてきて、当事者の名前を登録簿に書き込むというものだった。母を含め、必要な証人二人も署名した。招待客は親戚、親友など極く親しい人々のみ、後は婚姻の際に食す典型的な料理を専門的なケータラーに注文、それを食べて終了だった。披露宴は 招待客が多かったため、別に日をとってタージマハールホテルの会場だった。)私自身は改宗することを希望したわけではなかったが、この人々の排他性を感じて少々危惧した。しかしこの経緯には、1300年以上も前にパーシーの祖先がペルシャから難民として漂着した時からの歴史的エピソードが関係しているらしかった。たしかに、長年コロニーに住んでも、私は近隣から不愉快な目にあうこともなく、親戚の人々も大らかで優しく、幸運であったと思っている。パーシーの人々は国際感覚に優れているが、インドでは最もイギリス文化に同化した人々で、衣食住の習慣がモダンなのも私にはなじみやすく有難いことだった。



侵入してきたムスリムとその宗教への強制を逃れて、難民としてパーシーの先祖がペルシャからインドに漂着したのは、ムンバイの北、グジュラート州のサンジャンという港だった。何人くらいが着いたのかはさだかではない。もっとも大切な所持品はペルシャの神殿からの聖なる灯火とアヴェスタという聖典だった。これも、航海の後で切れ切れにしか存在しないらしい。居住の許可を願いでた代表の老いたゾロアスター僧に、土侯は親切にも、居住地を与えることを約束し、その他、難民の願いであるゾロアスター教を捨てないこと、子供達をペルシャの文化、教育の中で育てることの許可も与えたという。この交渉の際の特筆すべき有名なエピソードが一つある。土侯は、”あなた方は私たちのために何をしてくれるか”と尋ねたという。ペルシャの老人はミルクと砂糖を持ってきてくれるように頼み、土侯やその大臣達の前で、ミルクに砂糖をひとすくい入れて、私たちはこのようにあなた方の中に溶け込み、しかもそれによりあなたがたのミルクを豊かにおいしくします、と約束したというのだ。土侯はそれを喜び、条件として、武装解除すること、言葉(グジュラート語)や婦人の衣装など土地の風習に従うこと、かつ土地の人々の宗教に影響を与えて改宗させないことを約束させた。(これに伴い、結婚式は現代でも人目にたたないように夕方4時以降に挙式することとなり、今もそのタイミングが守られている。)。約束通りほんの数年の間にパーシーに与えられた土地は豊かになったという。パーシーは、その後も一度もインドに対し少数民族の特典を要求することなく、13億人の人口のうち、たった5~6万人くらいの人びとでも、インドの文化経済の発展の重要な一端をになっている。ちなみに、街の所々に立つ銅像の多くがパーシーである。誇り高き人々であると同時にインド土着の人々に愛されている証拠かもしれない。


以上に加えて、ゾロアスター教の葬送の儀式も大変特徴のあるものだ。もともと鳥葬なのだが、それは、チャリティ精神を重んずることに元を発しているといわれている。人生最後に肉体を与えるのだ。かつては、インドにも多くのハゲタカが住んでいて、日が落ちる頃はその特徴の黒い影が葬場近くの塀の上などに見えたものだった。現在では、その数が減っているためやむなく火葬を望む人が増えていると聞く。葬場は”沈黙の塔”(Tower of Silence)と呼ばれ、ムンバイの町中にあり、入り口から長い前庭を通ると遺体に最後にお別れする祈りの建物や家族によっては7日間、菜食の自炊をしながら喪に服して過ごす建物などが用意されている。また、参列の異教徒のための休憩所もあり良く管理されている。一つ面白いのは、ここには必ず犬が飼われており、それも、目の上に点のある四つ目の犬だが、遺体を囲んでの最後の祈りには、何回かその犬が遺体の回りを回る。魂を間違わず天へと案内するのだそうだ。(パーシーは多くが犬好きである。)こういった宗教儀式の後、遺体が運ばれる森の中は、もともと世襲で継続してきた専門の職業の人しか入れず、家族さえ許されないので詳しくは分からない。ただ、花の咲く、クジャクの飛び交う美しいところと聞いたことがある。多くの人は理想郷を描いているのかもしれない。遺体は、祈りの儀式のあと、白布だけに包まれ担架に乗せられて森の中に確か四つあるという大きな井戸の一つに運ばれる。そこに丁寧に置かれたあと、白布だけは持ち返られる。そこへ、鳥が来て、その後亡骸は次第に自然のままに 数ヶ月か数年掛けてすり鉢状の井戸の底、アラビア海に落ちて流されるそうで、いつかペルシャの地に着くということなのだろう。夫に言わせれば、思うほど恐ろしげなことでもないとのこと。というのは、ハゲタカは少しでも体温や息があれば、寄ってこない、そして5分くらいで終わってしまうというのだ。1980年代頃、森の近くに背の高いマンションが3軒くらい建って、物議を醸したことがあった。上階の数階は、削られて低くされ、目隠しもされてほっとしたことだった。(目隠しが出来る前にたまたま撮られた写真があるので、お目にかけます。)



最後に:この短いエッセイはある佛教雑誌に載せられたものの転載でした。従って、宗教的なことに比重がおかれているかもしれません。説明を補足した部分もありますが、今訪ねてもルスタムバウグのたたずまいや、環境はほとんど変わっていないと思われます。インドのムンバイの一般的なイメージとは又違うインドの側面が示されていると思われますので、興味を持ってくだされば幸甚です。多くの異人種が異文化や異なった宗教を持ちつつ、互いに平和に暮らしていくためには相手を理解しようとする寛容の精神が必要です。他に期待せず、自己のなしうる良きことをすることをモットーに生きるパーシーの人々から学ぶことは色々ありました。

この経験を大切にしたいと思います。


斉藤碧(S39英米文)















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