「St.Paul'sMachida ゆるつなVol.2」を開催
- 石井 力

- 6月24日
- 読了時間: 5分
更新日:7月7日
2026年7月5日、玉川学園で「St.Paul'sMachida ゆるつなVol.2」が開催されました。
フィンランドで30年ほど前から実践されてきたオープンダイアローグ。
講師である岩渕さんは、奥さまの病と向き合い、 日本における普及団体であるオープンダイアローグ・ネットワークジャパンの公式研修を受講されました。
今では第一人者としてご活躍され、オープンダイアローグを通じた支援や、その普及にご尽力されています。
「ゆるつな」では、オープンダイアローグのご紹介に始まり、岩渕さんとオープンダイアローグの出会いについてお話しいただきました。
オープンダイアローグの効果、医療との違いや関係などにも触れられ、参加者から質疑応答も数多く、岩渕さんには丁寧にご対応いただきました。
岩渕さんは、昭和38年(1963年)、東京都品川区で生まれ、現在は町田市三輪町に在住されています。
文学部英米文学科卒業後、株式会社ヤマハで「こどもの英語教室」の起ち上げスタッフとして、教材開発やスタッフ研修に従事されました。
その後、映像制作を始めとしたさまざまなご職業をご経験されました。
奥さまが統合失調症を発症されたことで、北海道にある「社会福祉法人浦河べてるの家」で実践されていた「当事者研究」と出会い、衝撃を受け、ご自身が「当事者研究」を始められました。
そして、「当事者研究」に興味を持つメンバーが集まる家族会で活動されていくなかで、
フィンランドで30年ほど前から実践されてきたオープンダイアローグと出会い、日本における普及団体であるオープンダイアローグ・ネットワークジャパンの公式研修を受講されました。
対話実践活動を展開する任意団体like minds(ライクマインズ)を設立され、現在は、奥さまとともに町田を拠点として活動されています 。
オープンダイアローグの主な活動として、2023年から、横浜寿町で就労継続支援B型事業所「ぷれいす」で、非常勤職員として活動されています。
福祉ニーズの高い街である寿町では、月に一回、主に支援者向けに、オープンダイアローグのワークショップ「ダイアローグin Yokohama」を開催され、現在も継続されています。
また、町田保健所やひきこもりの家族会KHJ町田、KHJ横浜ばらの会などからの依頼でオープンダイアローグの講演会も実施されています。
日本精神神経学会学術会議では、発表者ないし指定発言者として、2023年の第120回から3回連続で奥さまとともに登壇されました。
今年は、 6月19日に筑波大学の斎藤環氏ほか研究者・精神科医とともにパシフィコ横浜で「横浜寿町での実践:オープンダイアローグの3つの側面に照らして」と題して、発表されています。
現在作成中で、斎藤環氏が企画したドキュメンタリー映画『対話の中の光』のなかで、岩渕さんの活動がご紹介されます。こちらの映画は、来年、 2027年に公開される予定です。
岩渕さん、貴重なお話をありがとうございました。
<【ゆるつな】のご紹介>
「ゆるつな」は様々なバックグラウンドを持つ会員がスピーカーとして登壇し、それぞれの専門分野について講演します。
お互いの人柄を知るきっかけとなり、さらに教養や知識の広がりにもつながる、そんな趣旨の会です。
<岩渕一之さんから、自己紹介していただきました>
1982年入学 1986年卒業
三輪町在住の岩渕一之と申します。
家族は妻と愛犬じょんじょんです。じょんじょんは今年(2026年)の4月に4歳になったアメリカン・コッカースパニエルの男の子です。
さんざん遊び倒した神奈川県立松陽高校を卒業後、一年横浜のYMCA予備校に通って立教大学に入学、4年間文学部英米文学科に在籍していました。
生まれたのは東京都品川区南大井です。京浜東北線の大森駅が最寄で、小学校は鈴ヶ森小学校に一年生の3学期途中まで通っていました。
その後、横浜市旭区南本宿町へ引っ越し、高梨乳業が裏手にある本宿小学校に転校すると、当時はまだ野生動物がうろうろするような田舎の同級生たちにいじられ、自分もやがて環境になじんでくると自然豊かな通学路や自宅の周辺で、虫取りや川遊びをしたり、草野球に熱中したりして過ごしました。
中学校は万騎が原中学校。入学した年の一年生の学級は16、一クラス50人近いマンモス校でした。
過密状態の中学校を経たのちに入学した松陽高校ではとにかく羽を伸ばして遊びまくりました。背が高くなりたいと思って入部したバレーボール部を一年で辞め、軽音楽同好会でバンドに熱中したり、たくさん羽目を外した三年間で、気がついたら成績はクラスでほぼ最後尾でした。
立教大学では文学部に在籍しましたが、文学にはほとんどなじみのなかった自分には友だちの話題が新鮮で、文学や映画、ジャズや現代音楽、現代美術、演劇や舞台芸術に惹かれていきました。あのころは書店ならリブロ、芳林堂、新栄堂、そして古書店にいざなわれ、池袋西武にはArt VivantがあってCDもなかったころだったので店でかかるアナログレコードの音に耳を傾けたり、北口にあったジャズ喫茶Django(ジャンゴ)で新旧さまざまなジャズをぞくぞくしながら聴いていました。
クラブは町田にも来演されているビッグバンドジャズのNew Swingin’ Herd で一年間ギターを弾いていました。楽器はGibson Es-175、知り合いの立教の先輩から10万円くらいで譲ってもらいました。当時はほぼ新品のギターでしたがわけあって今年渋谷にあるWalkin’というギター工房でリペアして委託販売してもらったら50万円ほどで売れました。気がついたら40年たってヴィンテージギターになっていたんですね。
卒業後は大学院を目指したものの、その進路に違和感(?)を覚え、一年就職浪人後、契約社員として日本楽器製造株式会社(ヤマハ、ですね)に就職。その後十指に余る転職や異動を経て、いまは週に3日横浜にある就労継続支援B型事業所で福祉職として働く傍ら、町田で対話実践活動をしています。
2019年にオープンダイアローグ・ネットワークジャパン主催のオープンダイアローグトレーニング基礎コース第二期を受講、コロナ禍を経て2021年に修了し、現在は四期生の妻とともに町田市内を拠点としてオープンダイアローグや当事者研究に着想を得た対話実践活動を展開しています。








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