自己紹介(学生時代)
- 石井 力

- 6 日前
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更新日:2 日前
私は東北の山間で生まれました。私にとっては大都会「杜の都 仙台」の高校に通いました。初めて歩道橋なるものを渡って驚いた記憶があります。高1から下宿。親の目が届かぬことをいいことに、ただただ楽しい日々でした。大学に入学して剣道部。このままでは又怠惰に過ごすと体育会へ。おそろしい稽古が待っていました。1年次は何度も突き倒されてシャワールームで寝かされました。下宿は池袋1丁目です。ほどなく部員たちのお宿になりました。
剣道には生半可な自信を持っていたのですが大学では通用しませんでした。部員数も多く、おそらく稽古を積んでも公式戦には出られない、そんな計算高い理由で体育会本部への出向を願い出たのです。
当時の学生自治組織はクラス委員会が機能しなくなり、文化会も執行部が、ある勢力に乗っ取られてしまい大学当局が不承認。学生が授業料と一緒に支払う学生会費の代理徴収もストップしました。しかし学生会の事務だけは最低限ですが体育会が行うという理にかなわぬ状態が続いていたのです。構内は過激な立て看板で汚れ、学園祭も中止に。美しいキャンパスが歪んだ黒い雲に覆われているようでした。
そんな中、大学から金銭以外は支援するからとの提案があってスポーツイベントをいくつか開催することになりました。体育会員が準備・運営する一般学生向けの企画です。ともする
と体育会には特権意識のようなものがあって、これを払拭するよき機会ととらえました。
一方、神宮球場の応援席はガラガラです。少しでも学生たちに足を運んでもらおうと各部に協力をお願いしてデモンストレーション。三社祭の神輿とはっぴ姿で4丁目を練り歩いたりもしました。
力が入り過ぎて空回り、各部キャプテンからは理解を得られぬこともありました。他者のために仕事を引き受ける、あるいはボランティアの活動をお願いする、事務局は動けば動くだけの苦労はつきものです。しかしイベントの打ち上げの席で、お礼を述べながら、人目をはばからず、おいおいと泣いたりもいたしました。
あれから何年経ったことでしょう。今度は卒業生の皆さまたち、とりわけお会い出来ない会員の方々に対し、何かしら奉仕ができないものか。メンバーの皆さまとご一緒に考えていきたいと思っています。
石井 力(S55経営)






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